No.2のプレーを終えて、ロスの試験で赤点をとった悔しさと、憧れのコースでゴルフの魅力を再発見した嬉しさを噛み締めながらパインハーストを後にする。
そういえばここパインハーストにはドナルド・ロスの他に、もう一人ゴルファーの銅像が建っている。
ニッカポッカとハンチングという独特のファッション、世界一美しいと言われたスイング、20世紀最後の天才ゴルファーと言われながら、航空機事故で夭逝したペイン・スチュアートだ。
1999年にパインハーストを舞台に開催された全米オープンではペイン・スチュアートが優勝。
ドライバーもアイアンもナイスショットもミスショットも、全てが流れるようにスムーズで、その美しいスイングに憧れたものだ。
そんな憧れのスチュアートとの2ショットもこの旅の思い出になった。
アトランタまでの350マイルは、世界一美しいゴルフコースとマスター達のプレー、世界最難関のコースという夢のような1週間を振り返るのにちょうどいい時間だった。
マスターズの創設者であるボビー・ジョーンズは当初ドナルド・ロスにオーガスタナショナルの設計を依頼しようと考えていたと言われている。
ジョーンズはセントアンドリュース オールドコース(St.Andrews Old Course)を理想のコースとしており、そこでコース設計の基礎を学びアメリカで成功を収めたロスはまさにうってつけのパートナーとなるはずだったが、自分の考えを変えない「頑固な設計者」であるロスとの衝突を避けてオファーを断念したそうだ。
もしロスがオーガスタを設計していたら、今のような華やかなゴルフの祭典ではなく、我慢大会になっていたかもしれないと思うと、ボビー・ジョーンズの判断は正しかったのだろう。
アトランタに戻りホテルでJ・スピースが史上最高の28個のバーディーを取ってのマスターズ優勝を見届けながらそう思った。
こうして情熱の再点火はまんまと成功し、あっという間の私のゴルフトリップが終わった。
実はジョーンズは大好きな「本来的なゴルフ」をしたいために、グランドスラムを達成した28歳という若さで競技ゴルフから引退したといわれている。彼にとっての「本来的なゴルフ」とは、全神経を費やし集中して1打を放つことではなく『仲間といいショットや悪いプレーについて語らい、一喜一憂しながらプレーをすること』だったそうだ。
またここに来よう。
今度は気の合う仲間と「本来的なゴルフ」を楽みながら、ロスの追試を受けるか。