続き
ゴルフにおいてもトライアンドエラーは上達する過程で必要なステップなのですが、捉え方を間違えると私のようにゴルフが退屈なものに感じてしまうかもしれません。”試行錯誤”は何かを極めるには必要な過程に思える訳ですが、正しい打ち方や上達の最短ルートを模索することに重きをおいてしまうと、ゴルフをする上で大切なことを見失い続けていくように思います。
ドイツの哲学者オイゲン・ヘリゲル氏は日本での在住時に弓道の達人である阿波研造氏に弟子入りして、帰国後、のにち日本の「禅」ついて外国人の立場から解説しています。彼の著書『弓と禅』に次のようにあります。
一般的に余暇や自己実現、面白さを目的とした「スポーツ」に対して、「武道」は人の道なるような教育的な要素や自己の欲を捨てるといった修行という意味合いが強いと言われています。当初ヘリゲル氏は、弓道もスポーツと同じように何か動作的なコツや肉体のコントロールを極めることで的を射ることができると考えていたようでした。トライアンドエラーを繰り返し、自らの頭で考えてコツなるようなモノを習得することが正しいと考えていたヘリゲル氏は、阿波氏の教えに感情的になり時には対立しながらも「弓道」なるものの理解を深めていくのでした。
私の経験の話に過ぎませんが、スイングするための何か動作的なコツや肉体のコントロールが重要と考えているうちは”正解”から遠いゴルフになってしまうのではないかと感じています。スイングのデータを知れば知るほど、教える経験を積めば積むほどに「正しいスイング」など存在しないことが分かるようになりました。ゴルフは自己との対話と他者理解のスポーツであるというのが私の経験上の結論です。
私が冒頭に正しく打つことや最短ルートでの上達に重きをおくと、ゴルフをする上で大切なことを見失い続けていくように思うと述べたのは”正しさを求めるロボット”になってしまうように思うからです。存在もしない正しさに囚われて自分自身や相手も見ていないプレーヤーになってはいないでしょうか?