夏場はゴルフ場のアシスタントプロとして働き、無事にPGA Apprentice(アプレンティス=見習い)期間を終わらせたサチコ。中編では夏の間の仕事っぷりをご紹介しましたが、仕事のない冬には勉強と受験が待ち受けていました。後編のはじまりはじまり〜。
目次
ゴルフマネージメントプログラム
(PGA Golf Management Program)
アプレンティスはPGAプロの元でアシスタントプロを勤め、実際の仕事を覚えながら、筆記試験に向けた勉強をします。その自主学習課程をPGMプログラムといいます。教材はアメリカにありがちな百科事典みたいに重いハードカバーの教科書が4冊、他は教科ごとの3穴ファイルでした。単元ごとに小テストがあり、課題のレポートを書くようになっています。
全部終わったら、レポートのデータをまとめてPGA研修センターに提出します。先生がレポートを確認し、受験の許可がおりたら、筆記テスト(チェックポイント)を受けに行きます。まあ当たり前なのですが、教科書は全部英語です。試験に辞書は持ち込めません。
レベル1−3の筆記試験
合計17科目の筆記試験と8つのシミュレーションテストがありました。筆記とシミュレーションの両方がある科目もありました。試験は3段階に別れていて、レベル1は7筆記・3シミュレーション、レベル2は5筆記・2シミュレーション、レベル3は5筆記・3シミュレーションを一緒に受験します。
アプレンティスに登録してほどなく重たい段ボール箱が2つ送られてきて、何かと思って開けたら教科書でした。レベル1だけでこんなに!あまりの量の多さに面食らってしまい、1週間ほど玄関に放置しました。
ゴルフルール、芝生管理、スイング原理&分析、クラブリペア、ティーチングといったゴルフ関連の教科のほかに、会計学、商品マーケティング、人材マネージメント、カートマネージメント、トーナメント運営、労働関連の法律、飲食部門管理などのビジネス教科もあって、ゴルフ場全体の経営に必要な知識を身につけます。
例えばレベル1のティーチングでは、アプローチショットでトップしがちな人にはこういう教え方がいい、逆にダフる人はここをチェックしなさい、とたくさんのメソッドが紹介されていました。その項では、実際に自分の生徒に試したらどういう結果が得られたか、それ以外の教え方で有効なものはあったか、同じ生徒6回X5人分のレッスンの推移をレポートします。上司のPGAプロにもレッスンに立ち会ってもらいコメントをもらいます。
レベル3の「人材マネージメント」では、スタッフの経験値と積極度に応じて指示の細かさや対応のしかたを変えることや、期待以上の成果を上げるためにはどういうプロセスを踏むべきか、などを学びました。まとめの課題は、実際に自分の働くゴルフコースで問題のある部下を1人取り上げ、問題の根本は何か、その人がどういうタイプだからどういう接し方をし、どんな話し合いを持ってその人の考え方を変えたのか、をレポートするというものでした。
勉強はちっとも進まず…
夏はゴルフコースで仕事をし、冬は勉強に専念する、というパターンでプログラムをこなそうと思いました。大好きなゴルフの勉強なのだからなんとかなるだろうと思ってやり始めましたが、最初の冬はちっとも進みませんでした。大学受験以来まともに勉強などしたことがなく、英語の教科書を5ページも読み進めるとすぐ眠たくなってしまいます。翌年の夏は毎日コースに教科書を持っていき、仕事の合間に目を通すようにしましたが、ちっとも勉強ははかどりませんでした。
Accelerated Program(集中プログラム)に参加!
登録して2年以内に各レベルをクリアしないといけないのにどうしよう、と焦っている時に、PGAが用意した冬季の集中プログラムがあることを知りました。フロリダのポートセントルーシーにPGA研修センターがあり、その教室で専門の先生が授業をしてくれるのです。そこが筆記試験の会場でもあるので、プログラムの最後に試験を受けるように日程が組まれています。レベル1は特に量が多いので、登録したものの、1つも受験せずに脱落してしまう人が全体の3割もいることを問題視して、このプログラムが作られたとのことでした。
私の参加したクラスは12名で、うち女性は2人。私以外は全員アメリカの白人でした。大学出たての若者から、20代後半アイスホッケーの元プロ選手、30代の主婦(私です)、40代の弁護士の副業、脱サラの50代まで、実に様々な背景の人がいました。週に3日、朝8:30から4:00頃まで、1ヶ月半みっちり授業が行われました。1日の終わりに近づくと、脳みそが疲労し切って飽和状態になり、英語が頭に入らなくなってきます。片方の耳から入って片方の耳へスッと抜けていくとは、まさにこのことです。
私は高校時代ミネソタに留学経験があり、すでに9年ミシガンに住んでいましたから、とりあえず英語の素地はありました。でも読み書きするのには時間がかかりますから、授業のない日は予習・復習とレポートに追われました。研修センターから40分ほど南に下りた海沿いのコンドミニアムを借りていましたが、妙な願掛けをして、合格するまで海には行かない!と決めていました。ビーチをお散歩すればよかった…今から思えば、惜しいことをしたなあと思います。
研修センターの隣にはPGAアカデミーがあり、プログラム参加生には無料で開放されていました。広大な打ちっ放し場と、5種類の砂のバンカー、ベントとバミューダ2種類のパッティンググリーンがあって、気分転換にいつでも球を打ちにいくことができました。そういうところはさすがアメリカ、さすがPGAだなあと思います。
さあ試験だ!
筆記試験は4択マークシート方式で、25問中68%以上正解すると合格します。シミュレーションテストは記述式で、グリップ交換とスペック計測などの実技の他に、ゴルフルールという科目がありました。ルールブックを持ち込みます。前方のスクリーンに30秒のビデオ映像が流れます。例えば、バンカー内の球を打とうとしたプレイヤーが、すぐそばの木の枝を手で拾うシーンが出てきます。この映像が止まり、1)ルールの何章何項に記述があるのか、2)ペナルティの有無、3)ペナルティがあるならストローク数とその後の処理、を答えます。ルールを記憶しているかではなく、ルールブックを使う方法を知っているかどうかをテストされました。1問4分で、25問。冷や汗をかきながら、まさに時間と集中力との戦いでした。
授業料が3,000ドル、受験料と次レベルの教科書代で2,500ドル、フロリダでの家賃、レンタカー代、生活費を合わせると、シーズン中の薄給がほとんど全部吹っ飛びましたが、このプログラムのおかげで自分を追い込んで勉強に集中することができました。2年連続で冬はフロリダに滞在して集中プログラムに参加し、レベル1と2の試験に合格しました。クラスメートとは一緒に難関をくぐり抜けた同志のような結束力が生まれました。数人ですが今でも連絡を取り合い一緒にラウンドする友人がいます。
2007年3月5日、レベル1クリア。2008年4月7日、レベル2クリア。
ここでさらに一歩、野望に近づいた!
残りはあと1つ
最後のレベル3に取り組もうという時に夫の駐在が終わり、春先に引っ越しや一時帰国がありました。レベル3の集中プログラムはなかったのですが、量はそれほど多くなかったし、ペースもつかめていましたので、勉強とレポートは自力で切り抜けることができました。試験は筆記とシミュレーションの他に、プレゼンテーションや就職模擬面接もあって、かなり神経を使いました。すべての試験が終わってから採点時間中に1つ講義がありましたが、どんな講義だったのか何も覚えていません。Aldoids’(ミントキャンディ)をなめ続けて心を落ち着かせ、黙って座っているのがやっとでした。
合格発表で”Passed”と書かれた紙を見た時は、感極まって泣きました。「泣いていたから落ちたと思ったよ!」と友人に笑われてしまいました。夜にレセプションがあり、1人ずつ先生から修了証とPGAのバッジをもらいました。この時のみんなの嬉しそうな顔はいつまでも忘れられません。そして近所のスポーツバーでさらにパーティー。
全てが終わって帰る日は、やっぱりいつものフロリダの青空と海が広がっていて、寝不足の私にはそれがいっそう眩しく感じられました。やった、プロだ!PGAだ!と叫びたい気分でした。
2009年1月9日、レベル3クリア、PGAメンバー登録。ついに野望を達成!
4年間、精神的、金銭的に私を支えてくれた理解ある夫には、ただただひたすら感謝。
さあ、ここまでが「サチコ、PGAメンバーになる!編」です。次回からは、知って得するゴルフ知識、アメリカと日本のゴルフ文化の違いなどをご紹介していきたいと思います。お楽しみに☆