アメリカでゴルフにハマり、ゴルフに明け暮れ、ゴルフと恋に落ちたサチコは、ついにPGAプロを目指すことにしました。まずは実技試験から。中編のはじまりはじまり〜。
Playing Ability Test(実技試験)
実技試験は略してPAT(ピーエーティー)と呼びます。PGAが指定したコースで1日に2ラウンドし、合計のスコアが〈コースのレーティング+15以下〉で合格です。つまりハンディキャップ7.5以下が目安です。男性は約7,000ヤード、PGAは女性の距離を男性の83%と規定しているので、女性は約5,800ヤードでプレイします。私はレーティング72のコースでプレイし、159以下で合格でした。
全米どの州で受けても規定は同じです。ミシガンでは6〜8月に、月2回開催されます。何回でも受けられます。最初は緊張するのでなかなか思うようなスコアが出ず、3回目、6回目で受かったという仲間の話を聞きました。そのうち寒くなってしまい、南下して別の州で試験を受けていた知人は、上司のヘッドプロから「彼はPATツアーを回っているんだよ」とからかわれていました。
当日は私も本当に緊張しました。事前の練習ラウンドでは76と77が出ていたので、普段通りプレイできれば大丈夫だろうと思っていましたが、本番ではゴルフ人生において見たこともないようなミスショットが出ます。1日中気持ちが悪くて、耳は変だし、ナマツバが出ていました。スコアは79+79、1発で受かったのですが、本当にラッキーだったと思います。あんな辛いゴルフは二度としたくありません。願掛けをして当日はカメラを持っていきませんでしたが、アナログ携帯の写メが残っていました。
2004年8月16日、関門1つ目をクリア。野望に一歩近づく!
そのあとは…
実技に受かったら、ゴルフ施設で仕事をしなければなりません。週40時間以上、6ヶ月以上働く契約を結ぶと、PGA Apprentice(見習い/クラス B)に登録されます。教科書を買って、勉強して、レポートを提出し、筆記試験を受けます。Level1〜3の筆記試験すべてに合格し、規定の見習い期間を経過したら正式にクラスAのPGAメンバーに選出されます。
とりあえず実技試験を受けてみよう、受かったら先のことを考えよう、と思っていました。詳しく調べたら思っていたよりずっと大変で、1人ひそかにたじろいでしまいました。
就職活動
アメリカでゴルフ業界に就職…どうしたらいいのか全く分からなかったので、何も行動に起こしませんでした。実技に合格したのは8月、残りの夏はいつもの流れで友人達とゴルフをして過ごしてしまいました。シーズン終盤の10月、その日ラウンドしたコースの受付で所属プロと話をする機会がありました。
「PATに受かったので仕事先を探しているんです」と話すと、「じゃあうちで働いたら?」と言われ、その場で握手して契約成立!あれほど思い悩んでいた就職活動は、たったの3秒で終わってしまいました。ここでまた一歩、野望に近づく!
丁稚奉公はじまる!
見習い期間中に36ポイントを獲得する必要があります。筆記試験に合格しても、見習い期間を終わらせないとPGAメンバーにはなれません。1ヶ月が1ポイントとしてカウントされます。4大卒は12ポイントが軽減されます。ミシガンの冬は寒くゴルフができないので、雇用期間は繁忙期の6ヶ月程度です。1年で獲得できるのは6ポイント、終了まで4シーズンを費やしました。
2005年5月から、3秒で決めたBeacon Hill GCでアシスタントプロとして仕事を始めました。受付業務がメインの仕事でした。高校生のバイト君たちと一緒に電動カートの出し入れ、充電、清掃などもやりました。ショップの中からガラスの向こうのお客さんたちを見て、「俺たちプロは、金魚鉢の中にいる魚みたいなものさ」と同僚が言っていたのをよく覚えています。確かに!私も去年までは鉢の外にいたんだわ…。けれど、仕事中いくらゴルフのことを話しても、ツアーのTV中継を見ても怒られないし、お客さんは楽しそうですし、シフト外はコースを好きなだけ回れるし、ゴルフ好きな私にはぴったりの仕事環境でした。新しいことの連続で、最初の夏はあっという間に過ぎていきました。
2年目は、別のコースのディレクターから引き抜きの誘いがありました。コースの難易度が高く、芝から打てる練習場が魅力のHuntmore GCというパブリックコースでした。ヘッドプロから、平日のみのシフトで週末は働かなくていいというミラクルなオファーをもらったので、そこへ移りました。レッスンの生徒さんも少しずつ増えて来て、通常レッスンに加えプレイングレッスンも積極的にやりました。ハザードやOB杭の見直しや新設といったコースのマーキング管理を任され、ルールの勉強にとても役立ちました。
見習い3年目はプライベートコースへ
3年目の春、PGAのサイトに登録してあった私の履歴書を見て、プライベートコースのヘッドプロがコンタクトして来ました。面接して合格し、高級住宅街にあるカントリークラブWabeek CCのアシスタントプロとなりました。ニクラスとピートダイの共同設計で、箱庭のように美しい小難しいコースでした。憧れのプライベートコースでの仕事!しかしここで真の丁稚奉公の厳しさを味わうことになりました。
週60時間労働、週1の休日(時にはないことも)。週末、祝日は絶対出勤です。受付業務もやりますので、相変わらず「金魚鉢の中の魚」感は否めませんでした(笑)が、メンバーイベントが多く、大半は屋外でその準備や運営に追われました。急に声をかけられてメンバーとラウンドしたり、ドラコンやニアピンを助けたりしますので、常に気が張っていて、疲れているのにシフトの合間は練習ばかりしていました。
プライベートでは施設やコースのメンテ、イベントの規模、ショップで扱う商品など、パブリックとは動くお金の桁が違います。よりプロフェッショナルな格上のコース経営を目の当たりにしました。
秋に「アシスタントスクランブル」というベストボールのトーナメントを開催します。メーカーに協賛してもらい、新作クラブやシューズなど豪華な賞品を用意して、参加するメンバーにラッフルチケット(くじ引き)を買ってもらいます。収益金がアシスタントプロのボーナスとなります。これを冬のフロリダ修行(後編でご紹介)の費用に充てることができて、大変助かりました。アメリカではたいていのプライベートコースにこの習慣があるそうです。
4年目に夫が日本へ帰任することが決まり、家族会議の結果、私はアメリカで修行を続けることになりました。引っ越しや一時帰国などを想定し、見習い最後の年は休暇を取りやすいBeacon Hill GCに戻りました。
所変われば品変わる、とはまさにこのことで、コースによって実に様々なキャラがあり、アシスタントプロの仕事は本当に興味深く、勉強になりました。日々の仕事に加えて、ラジオ局の公開放送、フリーペーパーへの寄稿、YWCAのチャリティでのスピーチなど、地元の渉外活動に呼ばれる機会が増え、ゴルフプロとしての自覚がじわじわと高まっていきました。
4年間のゴルフ場での見習い期間を無事に終え、着々と野望に近づくサチコ。まだまだ道は続きます。見習いの仕事と平行して、難関の受験勉強がありました。
次号に続きます。